人気ブログランキング |

ここまでとリアル心境

今回のブログは私の今までと現在のお話なので、興味がない方はスルーしてください。

もしも既に私自身に素敵で綺麗な概念を持っていらっしゃる方々がいらっしゃいましたら、大分イメージ崩れると思うので、ここは禁断のページとして封印してください。

◆◆◆◆◆◆◆◆




左寄せにした所でスタートします。

実は数年前までは、かなりぶっちゃけた事もブログで書いていたのですが、最近ではあまりしていませんでした。思うところがあったのが一番の原因ですが、環境や心境の変化もあり暫く静かにしておりました。何度か自分の事を書こうかと思ったのですが、それ以上のテンションになりませんでした。

この度、来年の美術年鑑さんに掲載して頂き、ギャラリーお取り扱い価格も設定して頂けたので、大変ありがたく、感慨深く思ってはおります。そしてとても感謝しております。それは変わりません。

ですが、実は元気だろうと皆様お考えの事と思いますが、実はそうでもありません。

今までの色々が走馬燈の様に巡るので大分疲れているのと、実は自分はもう10年近くもずっとスランプな上に心身ともに病んでいたので、本当の所こんな身で来年乗り切れるのかと、内心ドキドキしております。こういうお話はあまり他人に言わないし、表向きが上手なのは自覚しているので、多分家族しかわからないと思います。あまり元気ではないのが最近の自分です。

気持ちの整理をする為にも、少しリアルなお話を書かせてください。


私は幼いころから絵描きになりたいと思っていたのですが、両親がそれを許してくれませんでした。今でこそ理解してもらっていますが、自分が実家にいる間中ずっと描く事は止められていました。止められていたというより、邪魔されていたという言い方のが正しいです。私は四人兄弟の二人目で、昔から感がよく要領が悪い子でだった為か、親から邪険にされておりました。お前には○○する資格などない。お前は駄目な人間だ。そう言い聞かされ、医療費を出す事にも勿体無いと文句を言われる始末で、どれだけ具合悪くなる自分を呪ったのかわかりません。大昔は親に殺される夢を見る程に切羽詰まっていました。やりたい事も出来ず、何もかもが無意味に見えて、やっと縋れるかと感じた他者との縁も思うほどでもなく、正直、寝て起きたらいつの間にか死んでいたらいいのにと、よく思っていました。子供というのは両親の判断で未来が狭まったりもします。保証人がいないと進めない事がなんと多い事か。当時は情報を収集するのすら難しかったので余計と八方塞がりでした。兄弟の中で進学が出来なかったのは私だけで、元々絵描きさんになりたいと思っていたのに、何故だろう、何がいけないのだろうと、毎日思っていました。私は不自由でした。

それでも、どうしてそう思ったのか理解できませんが、どんな形でも描く事にすがろうと思ってました。

最初は中学2年くらいからイラストを描き始め、親と相当バトルしながらも同人誌の関係を何とか続けていました。絵を破られたり踏まれたりされる事はしょっちゅうで描いていると邪魔されるので、誰かが傍にいると用心して作業が心置きなくできない癖がつきました。この時の癖は今も多少引きずっているのでお恥ずかしい限りです。同人誌は今の旦那と出会って少しするまで頑張ってやっていました。20代前半までです。当時、ドラゴンボールを描いた鳥山明さんの非公式のファンクラブに加入していて「卯京かずき(和稀)」という名で描いてました。全国区のサークルで本拠地が横浜だったので、私も編集の作業とかに行ったりしてました。その当時に同じサークルに加入していた方々はプロの漫画家さんとかで活躍されてる方も多数おります。そのサークルを辞めた理由も色々あるのですが、一番は、実のお婆さんとお爺さんが立て続けに痴ほう症で介護が必要になり、当時夜学に通っていた自分も空いた時間に手伝う事になり、描いていられなくなったのが主な原因でした。辞めなければ親が強硬手段に出そうでしたし、色んな方面に迷惑かけたくありませんでした。でも描く事をやめたとはいえ、やはり描きたかったので、結婚式のパンフレット等の描く仕事をお願いされると引き受けていたりしました。ちまちま続けてはいましたが、毎日自宅で心置きなく描く事が出来ないのは本当に苦痛でした。

そんな中、旦那(当時彼氏)がエアーブラシを買ってやるから車に描いてみないかというので、試しにやってみたのが切っ掛けで車に描くようになりました。当時の旦那は同人誌を大分偏見の目で見ていたので、余計と戻れなかったのですが、どんな事でも描く事に触れていたかったのでそこに居ました。当時は私も偏見の塊だったので、専門的な学校に行けなかった悔しさを逆手にとり、独学という言葉を祀り上げてでも自分を高く見せたかったのだと思います。実際は、実家での色々で基礎を練習する事が出来なかったので、全然カッコいい代物ではありませんでした。そして車好きなのはあくまで旦那だったので(私は早い車が好きなので走り屋もどきでした)部品も車種も組織図もとにかく色々が覚えられなかった上に、旦那の付き合いがそのまま私の顧客になる訳でもなく、練習するより一発で何とか仕上げないといけないという無謀な企画に精神的にかなり追い詰められていました。車のペイントの世界は、20年前はまだ女性の活躍はほぼ無く、ローライダーというジャンルでは、私は日本初の女性ペインターにはなれました。ですが目立つ存在だったにもかかわらず広報活動が大変下手だったので結局それを活かす事はできませんでした。当時の自分の事を考えると今でも馬鹿なんじゃないかと思います。色んな意味で勿体無い事をしたと思っていたのが、同人誌とローライダーのペインターをしていた時でした。ローライダーの世界ではミュージシャンを中心にした芸能人と知り合ったりしてましたが、それも全く現在の基盤として活かされてないです。
トラックに描いていた時は、喜んで頂いていた時も多かったのですが、クレームに対応しかねた時も屡々あり、後は女性だったが故の気苦労ですね。まあ色々と。女性軽視はいけないです。疲れてしまいます。それがとても大変でした。今でも描いて欲しいと行ってくださる方々もいるのですが、何度か復帰しようと頑張っては見たものの、描く気力が追いつきません。ごめんなさい。もう少し気力が回復しないと出来ません。
基礎がもろいとこういう部分にダイレクトに出てしまうのを痛感しました。基礎って本当に大切ですと、身に染みて感じた車のペインター時代でした。
車のペインターは20代前半からやってます。今から20年以上前です。この当時までは、仕事としてでないと描けないのだという変な捉え方をしていた自分をアホだと今は言いたいです。練習ナシでぶっつけやっつけで仕事とか、今思うとなめ腐ってるとしか感じません。でも、昔はそういう気分にはなれませんでした。幼い頃から好きに描けなかった土台は、自分の全てにおいて滑稽な偏向をもたらしていました。

25歳の時に結婚し次の時に子供が出来、三年後にまた子供が生まれました。嫁いだ先は自営業で建築業を営んでいる場所で、結婚前から事務仕事はしていて簿記の資格をとり、事務仕事の傍らで描くスタイルをしていました。
結婚する数年前の独身時代、すでに事務仕事をしていたのですが、通っていた夜学の卒業の見込みが出てきた時、当時勿論、美術の専門学校に行く予定で夜学に通っていたので進学する気だったのですが、同じ時期に旦那の方の身内の不祥事が発端となり、進学をあきらめざるおえない状況になり、その時の約束が「結婚して少し落ち着いたら改めて進学させてもらう」という条件だったのですね。
結果的にこういう約束を守る形で学校に行ったのにも関わらず、私への他者からの概念がものすごい事になったのは大変驚きでした。皆現在進行形しか見ないんだとシミジミ感じました。

結婚して直ぐは大爺ちゃんが介護が必要な状態になり、自分も独身時代に実の婆ちゃんを少し介護した経験があったので、精神的に少しでも楽ができる様にと、不満を我慢していたら色んな所にガタが来てしまったのを覚えています。そういう我慢は結果的に全員の楽にはならない事を痛感しました。
この当時は色んな意味で人との関わりに限界を感じながらも自営業の仕事や子供の付き合い等をしていた記憶があります。私は実は社交的な方ではないのですが、普通以上に頑張っていたのもこの時期でした。
買い物に出てスーパーで記憶が飛んで、何故そこにいるのか自分が何者かすら分からなくなって迎えに来てもらうとか、そういう精神的な疾患が出ていたのもこの時期です。私ら夫婦にはその間でしか分からない色々があるので、その部分も含めて他人には殆ど話しませんが、兎に角生きるとは何だと昼夜問わず考えざるおえない状態がずっと続き、正直本当に疲れていました。

それで36歳の時、今から8年前に限界突破してしまい、もう色んな意味でにっちもさっちも行かなくなり、既に家族の中では忘れ去られていた専門学校に行くという約束を思い出して頂き、実行するに至りました。

丁度その一年くらい前に、私が同人誌をやっていた時期に実は有名な漫画家さんたちのスタジオから正式なオファーがあったのを正式な筋から聞きました。それが叶わなかった理由が、実の親が片っ端から断っていたのが原因だというのも、その時初めて知り、私はとても申し訳ない気分と今までの色々を悔いてしまい、その事実も自分を追い詰めた原因でした。時は戻らないとはいえ、あの当時に約束した事位は叶えようと、それが専門学校に行く事でもありました。

色々と説得して何とか専門学校に行く所までこぎつけましたが、入学する数十日前に東日本大震災があり、進学を本当に心底悩んだのを覚えています。これを逃したらもうチャンスは無いと思っていたので、何とか通いました。ボランティアにも参加したりしましたが色々と足りないしかありません。それは今も思うことです。
美術の専門学校で初めて習う基礎は最初はとても嬉しかったです。日本の学校というのは、専門をストレートに上がってきた子たちの為に教育システムが成り立っているのだと、専門学校に行ってしみじみ思いました。後、実は自分、その場にいると先を読んでしまう癖がありまして、2年半ばくらいには既に最後の卒選で当時の先生方から誰が選ばれるのかを読んでしまっていました。自分は無いなと二年終わりには悟ってました。なので実は同窓会賞(OBが選ぶ賞)を頂いたのは本当に意外でした。選んでくださって心より感謝しております。昔から色々な面で邪険にされて育っているので変な部分が敏感になってしまってコンペや公募展とかコンクールにあまり出たくなかったのですが、卒業する頃には少しは吹っ切れました。良い事です。学校にいる間の他者からの私への概念は子供たちを置いてきた酷い気まぐれ暴君主婦というイメージだったのかなと今も思います。あまり素敵な印象は持たれてない自信があります。でももう卒業してしまったし、自分の子供たちは私に対して全然そんな事微塵も思っていないので、どう思われていてもいいと思ってます。

学校に行ってる間、3年生の前期でいよいよ、今までの付けが回ってくる形で精神的にガタがきて、習っていた事の一部の記憶が抜けるという乖離状態になりまして、それから卒業までと卒業してからの一年間は大分落ち込んでいましたが、今はそういう部分は大分よくなってます。当時は卒業までにがっつり吸収する気だったのに、頑張っても無くなった記憶は帰って来ないし、こういう状態になってしまい本当に大変でした。中学二年の時にも同じ様に覚えた記憶がゴッソリ抜ける事があったので、その時の病がぶり返していたみたいです。

卒業してから今まで素晴らしい出会いもあり、得るものもありました。
正直、卒業してもいつも足りないしかなくて、描けなかった期間の過ぎてしまった時間に焦点を当ててしまうと未だに喉を掻きむしりたくなる衝動に駆られたりもします。無くした時間は二度と戻りませんから、時間を返せって言ったとしても返せる人間なんてこの世に存在しませんし、そして何より無くした時間が例え誰かの責任であっても、それを現在進行形で償おうなんて考える人は殆どいません。諸行無常だと理解しました。だから囚われてしまうと抜け出せなくなるので、そこだけは気を付けなくてはと、今でも思います。

私は「続ける努力」をしてこなかった部類の人間で、その全てが自分の責任ではないにしろ、粛々と積んできた側の方からすると、自己責任でやってこなかっただけだと言われる事もよくあります。それはもう日本の価値観の問題なのだろうなと最近では思ってもいます。そういう過程もあり他人の全てを決めつけから判断してはいけない、それは危険な事だと、私は専門学校に行ってる最中に身に染みて感じました。冒険しなければ分らなかった偏向した部分も沢山ありました。意識しないと抜けられない事も理解しました。

私ぐらいの中年になって冒険をする事を、私は他人に率先して進めようという気にはなれません。自分を通せば一番巻き込まれるのは身内です。巻き込まれるという言い方をしましたが、本人がもし道をまっすぐ進めない状態があるなら、本当は全て自己責任なんて事は言い切れなくて、それは環境が伴わないから進みたい方向に進めない、とも考えられるのです。

環境は本当に大切で、だからこそ若い時に諦めざるおえない人の話を聞くと、いたたまれなくなります。家庭環境、経済環境、色々ありますが、まっすぐ進める事というのは、本当に恵まれている事です。才能とは「淡々と続ける事であり積み上げていく事」であって、驕る事でもひけらかす事でもありません。そして「続ける事」というのはコツがいる事です。コツは若ければ若いだけ身に付きやすいのかもしれません。
私は今も「続ける」という習慣づけに大分苦労していますし、子供たちへの習慣づけにも大分考えさせられます。もう、本当に。色々と難しい難題です。

当たり前に出来る人は当たり前に出来るんだよね。
その当たり前が全ての人に当たり前ではないのだけど。

そして当たり前には思えなくて足掻く自分。

私はあまり素晴らしい人ではなく、多少は波乱万丈かとも思いますが、その都度カッコよく意識高くクリアしている訳ではなく、本当に泥臭く生きてきたなあとシミジミ感じています。全然粘着質だわ。困ったことに。

最近では今までの色々が走馬燈の様に頭をよぎるし、思い出したくない感情まで思い出すし、大分低空飛行しつつ、自分ホンマ需要あるのかなあと落ち込んだり、普通にしていました。スランプも抜けたような気で、あまり抜けていない気がします。・・・何時になれば抜けるのでしょうね~。というか、一応立ち止まりはしつつも描いてはいるので、いっその事この状態を普通とみなして進んでいくべきなのかもしれません。

そういえば大昔同級生が言ってたなあ。

一番低い時期を普通と認定すれば、後は昇っていくだけだぞと。

こういう時こその心境かもしれません。

いつも悩んでいて、そして自分の特技すらよくわかってない人間で、あれもこれもしたがりなのに、面倒くさがりで、最近も大分悩んではいましたが、これ書いて、今生まれたてな気分ですっきりした気になってます。


来年から画家のメジャーデビューみたいな感じですかね。

今までがインディーズ。

そう考えると面白いかもしれないですね。


本当はこの時系列のお話の中に、人知を超えた話もちょいちょい含まれるのですが、それはまた機会があったらお話します。

今の自分のリアルな言葉でした。


年相応なお話でなくて申し訳ありません。
難しく加工しないのでリアルを置いておきます。

 



◆◆◆◆◆◆おしらせ◆◆◆◆◆◆


2018年度活動


2月 書籍「MINERVA 2018」
発刊記念レセプションパーティー 

3月下旬 書籍「MINERVA 2018」全国書店で発売

4月9日(月)~30日(月) 落書き個展 第2弾
長野県松本市 ギャラリー信濃

6月21日~24日「ACT ART COM -Art & Design Fair 2018-」
東京都新宿区 Tha Artcomplex Center of Tokyo(ACT)

6月26日~29日「第26回 国際平和美術展」国内展 
広島市 JMSアステールプラザ市民ギャラリー

7月25日~28日 「Exhibithion of MINERVA 2018」
イギリスロンドン マル・ギャラリーズ 

9月12日~24日「第26回 国際平和美術展」海外展
スイス・ジュネーブ 国際連合欧州本部パレ・ジ・ナシオン 

8月 大阪市内 医療施設にて展示会参加

9月 大阪市阪急梅田駅構内にて展示参加

10月15日~11月4日 落書き個展 第三弾
長野県松本市 ギャラリー信濃

10月22日~31日 「永遠の明友展2018」
台湾 國立中生紀念堂

 10月 作品掲載書籍「日本藝術の創跡23」発売
(電子書籍2019年1月発売)
「フランクフルト・ブックフェア」にて書籍販売等
ドイツ・フランクフルト メッセ・フランクフルト

10月 「ARTWORLD IN JAPAN 大阪」 展覧会参加

11月 兵庫県芦屋市の医療施設にて展示会参加

11月19日 「JAPAN ART PRINT SHOW」 
アメリカ・ラスベガス ベラージオ「MONET ROOM1,2」

11月30日~12月2日・4日~6日
日本×ポーランド国交樹立100周年記念「藝展」
京都市音羽山 清水寺 圓通殿

12月 紀伊国屋本店にて委託販売参加

12月15日~20日・21日~26日
 「ARTWORLD IN JAPAN 神戸」 展覧会参加
神戸旧居留地 Gallery 7


◆ 2019年予定 ◆

1月 美術書籍「美術年鑑 2019」作家名掲載予定

美術書籍「日本藝術の創跡23」電子書籍版 発売予定

2月 「ARTWORLD IN JAPAN 京都」 参加予定

2月16日~20日 「第24回 日本の美術 全国選抜作家展」
東京 上野の森美術館

3月下旬 美術書籍「MINERVA 2019」
全国書店にて発売 作品掲載

4月8日~21日 日本×ポーランド国交樹立100周年記念「藝展」
ポーランド首都ワルシャワ市 ヴィラヌフ宮殿併設 国立美術館


2019年も続々決定中!!!
詳細は各イベント約一か月位前にお知らせいたします。



2017年度活動

2017年2月18日(土)~22日(水) 第22回「日本の美術 全国選抜作家展」出展
(東京 上野の森美術館) 人気アーティスト賞を受賞しました!!
2017年3月下旬 美術書籍 「MINERVA 2017」 全国書店にて販売 作品掲載
2017年5月10日(水)~14日(日) 第22回「日本の美術 受賞作家展」 出展!!
(東京 銀座洋協ホール)
2017年5月30日(火)~6月2日(金) 「Exhibihion of MINERVA 2017」 出展
(イギリス・ロンドン マル・ギャラリーズ)
2017年7月15日(土)~18日(火) 「第25回 国際平和美術展」国内展 出展
(東京西池袋 東京芸術劇場5F 展示ギャラリー1,2)
2017年9月20日(水)~30日(土) 『創形美術学校同窓会賞』の卒業生たち展 出展
(東京西池袋 創形美術学校1F ガレリア・プント)
2017年10月3日(火)~29(日) EMPギャラリー リニューアル展  参加
(東京上野 御徒町駅付近ギャラリー街一角 EMPギャラリー)
2017年10月4日(水)~11日(水) 「Invitation from Da Vinci」  出展
(フランス・ロワール地方 クロ・リュセ城)
2017年11月12日(日)~15日(水) 「第25回 国際平和美術展」海外展 参加予定
(インド 全インド美術工芸協会 AIFACS(All India Fine Arts & Crafts Society))
2017年11月18日(土)~12月10日(日) 「落書き一周年記念個展」開催!!
(長野県松本市 ギャラリー信濃)
2017年12月 美術書籍「Japanese Art Hermitage」発刊 作品掲載
(ロシア エルミタージュ美術館(公式)収蔵)




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

卯京のHPはこちら!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

乾真紀子(画家 卯京華月)
http://www.facebook.com/maki.maki.emaki
たまにしか更新してません。

@ukyo_p
Kagetsu Ukyo (卯京華月)  
http://twitter.com/ukyo_p
主にリアルタイムの戯言を呟いてます。

`@kagetsu_ukyo
http://www.instagram.com/kagetsu_ukyo/
描いた絵を思いつくままに載せてます。

Kagetsu Ukyo
https://jp.pinterest.com/kagetsuukyo/
気になった画像や資料をまとめています。
日々の落書き用も。


こちらも応援よろしくお願いします。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


アクセス頂き、まことにありがとうございました(^o^)丿


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



名前
URL
削除用パスワード
by ukyo-p | 2018-12-22 19:15 | いつものふつうの素の日記 | Comments(0)

現代版ロマン派&象徴主義を目指している長野県松本市の画家(♀)。車にも描いたり。作家活動と日々のあれこれ趣味嗜好を綴ります。MINERVA会員、国際平和美術会会員、英国王立芸術家協会名誉会員。国内、国外で活動中。


by 卯京華月(うきょうかげつ)
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31